大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和54年(ホ)6992号 決定

被審人 日本航空株式会社

主文

被審人を罰しない。

理由

一  被審人は、日本航空客室乗務員組合(以下、客乗組合という。)の申立にかかる東京都労働委員会昭和五二年不第四三号事件について、その被申立人として、右都労委から昭和五三年五月二三日、「一被申立人(被審人)は、管理職をして申立人客乗組合所属の組合員に対し、脱退工作をなさしめ、もつて申立人組合の組織運営に介入してはならない。二、三省略」との命令を受けたが、被審人は右命令の交付を受けた昭和五三年五月三〇日から一五日以内に中央労働委員会に再審査の申立をせず、また三〇日以内に右命令の取消しの訴を提起しなかつたので右命令は確定した。

二  しかるに都労委は、被審人に右命令主文第一項(以下、本件命令という。)不履行の事実があるとして、昭和五四年一〇月一九日、当裁判所に対し労働組合法二七条九項に基づいて通知をなし、当裁判所は同日、これを受領した。

三  そこで右不履行の事実の有無について検討するに一件記録によると次の事実が認められる。

客乗組合所属の組合員であつた松本博子(以下、松本という。)は昭和四九年四月一日に被審人会社(以下、会社という。)に入社し、本件当時はアシスタント・パーサーの地位にあつた者であるが、昭和五四年五月二三日、医師の診察により妊娠一か月半、しかも切迫流産の段階にあることが判明したため、上司である管理職の矢島利一チーフ・パーサー(以下、矢島という。)に電話により連絡した。

ところで、会社の客室乗務員規定には「職種に係わりなく、第一子妊娠により資格を喪失する。」旨規定されており、また会社と客乗組合との「女子客室乗務員の資格喪失に関する覚書」によると「パーサーの場合は第一子妊娠により資格を喪失する。」とされており、松本においてもかねてより、私的な事情から早晩、会社を退職することを考慮していたこともあり、同人はこの機会に退職を決意したが、昭和五四年度の夏期一時金の支給を受けてから退職したいとの希望を有していたため、右一時金の支給時期との関係で退職時期をいつにするかの点につき、矢島と電話により種々交渉するに至つた。

結局、同年五月二九日に至り、矢島は松本に対し電話で「松本は同年六月二〇日付で退職ということになつた。現在のところ、夏期一時金の支給日は六月一五日の見込だが、客乗組合との交渉が長びき収拾が遅れると、二〇日付退職では一時金は貰えないかもしれない。確実に貰える方法としては宙ぶらりん(どの組合にも所属しない状態のこと)になる手がある。」旨のことを述べた(なお、会社と客乗組合との「昭和五二、三年夏期手当に関する協定」によると、従来、客乗組合所属者で夏期一時金支給の対象となるのは、「対象期間に所定の職員として在籍し、かつ支払日現在所定職員として在籍する組合員」とされており、したがつて組合に所属しない状態になれば、会社指定の支給日に一時金を支給されることになり、本件において松本が「宙ぶらりん」になれば二〇日付で退職しても一時金を貰える可能性が大きい状態であつたことが認められる。)。

その後、松本は結局流産するに至つたが、会社と交渉のうえ七月末日付で退職することとし、所定の一時金の支給を受けたうえ、同日付で退職した。

以上のとおり認められる。

四  そこで、矢島の松本に対するかような対応が本件命令の不履行であり、客乗組合の組織、運営に対する介入としての右組合員に対する脱退勧しように該当するかどうかを検討する。

1  まず、松本と矢島との具体的な交渉経緯をみるに、一件記録中の松本の陳述書によると、同人は以下のように陳述していることが認められる。

松本は切迫流産の事実が判明したため、同年五月二四日、スケジューラーに連絡した後、矢島に電話連絡して二週間の欠勤を申し出たところ、矢島から「妊娠がわかつた時点で失格だから、五月三一日付で退職になるだろう」旨言われた。

松本は同日入院したが、翌二五日、矢島に電話したところ、矢島は「六月三〇日付退職ではどうか。そうすればボーナスも貰える。」旨述べたので、松本は私的事情により早晩、会社を退職しようと思つていたところでもあつたので、ボーナスを貰つて退職できるならそれで良いと思い「そうして下さい。」と答えた。

ところが、五月二九日に至り、矢島からの連絡で同人に電話したところ、同人から「欠勤、有給休暇等の関係で六月二〇日付で退職して貰うことになつた」旨言われ、さらに夏期一時金支給に関して前記のとおり「宙ぶらりん云々」のことを言われたが、松本は「その意思がない」旨答えた。

以上の陳述に対し、矢島の報告書によると、同人は松本との交渉経緯について次のように述べていることが認められる。

五月二五日の電話によるやりとりでは「五月三一日付で退職云々」の発言はしておらず、「妊娠が確認された時点で乗務員としての資格は喪失する。」旨述べたところ、松本は「もともと七月末で退職を考えていたが、そういうことであれば六月末ぐらいで退職させて貰いたい。」と退職の意思表示をしたが、矢島は「退職日がいつになるかは残存年休日数を考慮せねばならないので調べておく。」旨答えた。

五月二五日の電話については、退職日を六月三〇日付とする旨の話はしておらず、松本から「六月一杯の退職にして貰いたい」旨懇願され、矢島はその理由は一時金を受領してから辞めたい意向であることが推察できたが、「希望だけで退職日がきめられるわけではない」旨述べた。その後、矢島が松本の残存年休日数を調べたところ一六日あり、これを全部使つても六月一一日が退職日になる(五月二四日から残存年休日数を全て消化すると六月八日となり、これに六月の八日間に月間保障休日一〇日を比例配分すると三日が与えられるから、結局六月一一日が退職日となる。)しかし、松本の意向に沿い、同人ができるだけ一時金の支給を受けられるように配慮した結果、六月二〇日まで退職日を延ばすことになつた(五月二四日から五日分は欠勤として扱い、五月二九日から残存年休日を消化すれば六月一三日となる。これに前記と同様に月間保障休日を比例配分すると五日間になり、これを加えると六月一八日となる。さらに、これは中途半端であるので切り上げて六月二〇日を退職日とした。)。

右措置を伝えるため、病院に伝言して松本に電話させ、六月二〇日付退職の旨を伝えたが、松本が「何とか六月末までにならないか」と言うので一時金を確実に支給される方法として「宙ぶらりん云々」の話をした。

以上のとおり認められる。

右のとおり、両者の陳述の間には事実関係にかなりの食い違いがあり(その主要な点は、松本陳述書では、矢島が退職日を五月二四日には五月三一日と言い、同月二五日には六月三〇日をすすめながら、同月二九日に至つて六月二〇日付になつたと再三変更し、またボーナスの支給を受けてからの退職を矢島の方からすすめたことになつているのに対し、矢島陳述書では、矢島は当初、退職日については触れておらず、松本の方から六月一杯での退職の懇請があり、矢島が松本の一時金の支給を受けてから退職したいとの希望を考慮しながら残存年休日等を調整して六月二〇日を退職日とし、これを五月二九日に松本に伝えたことになつていることである。)、右事実関係に関しては他に特段の疎明もないことから、直ちに一方の陳述を排斥することは困難である。しかし松本の退職日の指定が矢島の裁量のみで決定されるとは考え難く、一件記録によれば退職日は残存年休日数等との関係でほぼ画一的に決定されていることが窺われるから(欠勤日の認定等により若干の裁量の余地はあるとしても)、矢島が残存年休日数の計算もせずに退職日の指定を再三変更したとする松本の陳述には疑念が残る。むしろ、六月二〇日付の退職日の指定に関する矢島の前記説明には合理性が認められ、また松本はいずれにしても早晩退職を考えていたものであり、夏期一時金の支給を受けて退職したいとの希望を有していたことが認められることからすると、松本から六月一杯での退職の申出があつたとする矢島の陳述の方により自然さが認められると言える。

2  そこで、矢島の陳述に基づいて本件命令不履行の有無を考えるに、矢島の「宙ぶらりん云々」の発言は、松本の退職日につき、せいぜい便宜を図つても六月二〇日に設定せざるを得ないことから(一件記録によると、従来の夏期一時金支給の実状は、会社指定日が六月一五日前後であり、客乗組合所属組合員への支払日は六月末頃であつたことが認められる。)、松本が一時金の支給を受け得るかどうかの話の推移により、矢島が一時金の支給を確実に受け得る手段として話したものにすぎず(もつとも、かような発言は誤解を招き易いものであり、管理者として軽率の謗りは免れないであろうが)、これをもつて客乗組合の組織、運営に対する介入としての組合脱退勧しよう行為であると認めるには足りない。

これを客観的にみても、松本自身の希望によるも六月末で退職することになつている(したがつて、その時点で客乗組合の組合員たる資格も喪失することになると考えられる)のであり、かような者に対して一時金支給を確実にする手段として、いずれの組合からも離れることを示唆したとしても、それによつて客乗組合の組織、運営に影響を及ぼし得るとは考え難い。

3  さらに、仮に松本の陳述書に記載の如き事実関係を前提として考えてみても、矢島の五月三一日付もしくは六月三〇日付での退職の話は、退職日は本来、残存年休日等の計算のうえ決定されることから考えても、最終的な退職日の指定の趣旨での話ではなく、松本の意向の打診という程のものであつたことが窺われ(もとより、かような発言があつたとすれば、管理者としては慎重さを欠いた発言であつたことは言うまでもない。)、前記のとおり、最終的な六月二〇日付での退職日の指定に合理性が認められること、「宙ぶらりん」発言そのものは、一時金受給に関する話の推移中にでてきたものと認められること、松本自身、おそくとも六月末には退職する意向を示していたこと等の事実に照らすと、(仮に、一時金支給を受けての退職を当初、矢島の方からすすめた如き事情があつたとしても)松本の陳述書に述べられた事実関係のみをもつてしては、未だ矢島の松本に対する対応をもつて、松本を客乗組合から脱退させることを積極的に意図した一連の行為であるとまでは認めることができず、したがつて矢島の宙ぶらりん発言をもつて(あるいはそれ以前の矢島の松本に対する対応をも含めて)客乗組合の組織、運営に対する介入行為たる組合脱退勧しようとまでは認めることができず、本件においては右松本陳述書の他に矢島の右発言を組合の組織、運営に対する介入であると認めさせるに足るべき特段の疎明はなされていない。

結局、いずれにしても一件記録上からは、矢島の松本に対する前記対応をもつて、客乗組合の組織、運営に対する介入行為たる組合脱退勧しよう行為であり、本件命令の不履行に該当するとは認めるに足りないことに帰する。

五  以上のとおりであり、本件においては被審人に本件命令不履行の事実を認めることができないから、被審人を罰しないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 赤西芳文)

命令書

(都労委昭和五二年(不)第四三号 昭和五三年五月二三日 命令)

申立人 日本航空客室乗務員組合

被申立人 日本航空株式会社

主文

一、被申立人日本航空株式会社は、管理職をして、申立人日本航空客室乗務員組合所属の組合員に対し、脱退工作をなさしめ、もつて申立人組合の組織運営に介入してはならない。

二、被申立人会社は、本命令書受領の日から一週間以内に、左記の文書を申立人組合に交付しなければならない。

昭和  年  月  日

日本航空客室乗務員組合

執行委員長 板橋孝殿

日本航空株式会社

代表取締役 朝田静夫

当社管理職が貴組合員に対して貴組合からの脱退を工作したことは、不当労働行為であること、東京都地方労働委員会で認定されました。今後管理職に対して同種の行為をくり返さないよう指導いたします。この文書は、同地方労働委員会の命令により交付するものです。

(注、年月日は交付の日を記載すること)

三、その余の申立てを棄却する。

理由

第一認定した事実

一 当事者等

(1) 申立人日本航空客室乗務員組合(以下「組合」という。)は、被申立人会社に雇用されている客室乗務員約二、四五〇名(本件申立て当時)が組織する労働組合である。

(2) 被申立人日本航空株式会社(以下「会社」という。)は、肩書地に本社を置き、従業員約二万名を雇用して国際路線および国内幹線における定期航空運送事業を主たる目的とする会社である。

(3) なお、会社の客室乗務員で組合に所属しない約一、〇〇〇名(本件申立て当時)は、全日本航空労働組合客室乗務員支部(以下「全労」という。)を組織している。

二 安達に対する脱退工作

(1) 申立人組合の組合員安達喜代美は、昭和四九年一月一六日スチュワーデスとして会社に雇用され、国内客室乗務員室第二課Lグループに所属していたが、乗務中に罹患した腰痛のため、昭和五一年一〇月五日から昭和五二年一月末日まで、公傷欠勤の扱いを受け、会社の診療所に通院加療していた。

(2) 昭和五一年一一月一九日正午過ぎ、安達の上司である藤野昌男先任チーフパーサー(管理職、以下「先任」という。)は、腰痛の件で話がしたいとして同人を呼び出して昼食に誘い、同先任の車で芝のプリンスホテルへ向つた。同先任は、車中で安達に対し「今日はもう一つの話がある。組合の件だよ。実は田中課長から君の組合に関する意見を聞いてほしいといわれてきたんだ」と述べ、プリンスホテルで食事中、さらに「会社の利益を考えないでストばかりやつている客乗組合のことをどう思うか」「君が全労に入るということは、ぼく達に誠意を示すということだ。もしそうであれば腰痛に関することは絶対に責任をもつよ」といい、安達の「考えてみます」との返事に対し、「考えるつもりなら脱退届にサインしてもらいたい」「一度脱退届を書いてもいつでも破れるから大丈夫だ。二、三か月保留しておくこともできるから。君の指示がない限り、脱退届を客乗組合に届けることはしない」と述べた。帰りの車中で、同先任は、鞄から全労作成の脱退届用紙(同用紙左片は組合への提出用、右片は控として全労への提出用)を取り出し、安達をしてこれに署名捺印させ、これを自ら預かつた。引続いて同先任は、安達を田中第二課長のもとにつれていき、同課長に「安達さんのことは頼みます」と述べ、同課長は「うん、わかつている」と答えた。その後、上記脱退届が安達の指示のないまま組合に提出された。

一二月二九日、安達は、組合の山上執行委員(腰痛対策担当)から、脱退届が出ている旨の電話を受けたので、昭和五二年一月一〇日、藤野先任に電話をし、自分の指示なしに脱退届を提出したことを詰問した。そこで同月二〇日、田中課長と藤野先任は安達を呼び出し、田中課長が安達に対し、脱退届の件についてまだ組合に話してなければ、詳細を話さないよう依頼した。このあと、安達は脱退の意思表示を撤回したが、形式上は組合への再加入の手続がとられた。

(3) 昭和五二年一月三一日、安達は、一か月四〇時間の制限乗務(通常は、五〇時間強)可能との会社産業医の診断書を会社に提出して、二月からの乗務を求めた。そこで、会社は同月一一日までは上記制限にさらに一乗務二レツグ(一回の離着陸をあわせて一レツグという。)以内の制限を加えて、同人を乗務させた。しかし、同月一二日に三レツグの乗務につかせたところ、同人は、三レツグにはまだ耐えられないとして、同月一五日「四〇時間、二レツグ以下の便にて配慮願いたい(期間一か月)」との診断書を田中課長に提出し同措置を求めた。これに対し同課長は、「そんなに制限をつけて飛ぶのでは業務上も困るし、休んで治した方がよいのではないか」と述べ、その場で産業医に問い合わせた結果、二月中は二レツグ以下にすることを認め、三月については二月末に安達と会つて決めたいと述べた。二月二五日ごろ配られた三月のスケジュールでは、安達について二レツグの制限がついていなかつたので、組合の滝沢執行委員が会社と折衝し、同人の乗務に二レツグの制限が付された。

第二判断

一 組合は、(ア)藤野先任が田中課長の意を受けて、組合員安達に対し組合を脱退して全労に加入しなければ、腰痛の治療に不便があると述べて、脱退届に署名捺印させ、かつ(イ)同人が脱退届を撤回した以後は、その報復として乗務制限に関する医師の診断書を無視した乗務をさせようとしたもので、本件脱退工作は、会社の従前からの組合攻撃に一例を追加するものであると主張し、会社は、(ア)藤野先任が安達の自発的な署名捺印による脱退届を預かつて投函したものにすぎず、また(イ)制限乗務については、前例をみないような制限付で乗務するくらいなら、むしろ治療に専念した方が良いのではないかと本人に再考を促したものであり、いずれも支配介入に該当するものではないと主張する。

二 (1) 〈1〉会社が、昭和五〇年五月二七日全労支部結成以来、全労の育成、申立人組合の組織拡大阻止の手段をつぎつぎと採つてきたことは、当委員会昭和五〇年不第一二七号事件命令(昭和五二年五月一〇日決定)において認定されているところであり、本件当時も、この事態が格別変つたと認めるべき特段の事情はない。

そして、本件一一月一九日の件も、(ア)藤野先任は、全労作成の脱退届用紙を予め用意し署名捺印させて、これを預かり、そしてこれが組合に提出されていること、(イ)当日、同先任は安達をわざわざ田中課長のもとにつれていつていること、(ウ)さらに、翌年一月二〇日同課長と同先任は、安達に脱退届の件についての詳細を組合に話さないよう依頼していることなどを総合すれば、安達が自発的に脱退届に署名捺印して、これを同先任に預けたものと認めることはできない。むしろ上記の事実と安達のその際の経緯に関する証言とを併せれば、組合と全労との対立およびこれに対する会社の態度という当時の状況の中で、職場の雰囲気や自己の腰痛問題等で不安定な心境にあつた安達に対し、藤野先任が、田中課長の意を受け、上司の地位を利して説得のうえ、組合脱退を表意せしめるにいたつたもので、畢意脱退を強要したものといわざるをえず、結局このようにしてなされた脱退工作は、前記全労の育成、申立人組合の組織拡大阻止の一環としてなされたものとみるのが相当であり、組合に対する支配介入である。

〈2〉会社は、この件については既に会社から組合に対し文書をもつて労働組合法第七条に抵触する疑いが極めて強いことを認めて、遺憾の意を表し、以後同様の行為が発生せぬよう文書をもつて管理職に徹底させているから救済の必要がないとも主張する。

しかし、会社は、上記脱退届は安達が自発的に署名捺印したもので、藤野先任が同人の依頼によりこれを預かり、投函したものであるとの立場に固執し、ただこのことを不当労働行為と疑われ易い行為であつたとして遺憾の意を表しているにすぎないから、会社の管理職が同人に脱退届を書かせたと認められる本件の救済としては会社の上記措置だけでは不十分であること明らかである。

(2) 安達の二レツグ以内の制限乗務の申出に対する田中課長の発言は、当時腰痛症の不完全治療、再発を招く惧れのある制限乗務は廃止することを検討していた会社方針に従つたものと考えられる。そして、同課長は、産業医より安達の場合、同人が望む制限付乗務を認めた方がむしろ治療上賢明ではないかとの意見を聞いて、二月中は二レツグ制限を認めたが、三月のスケジュールはすでに四〇時間制限のみで決定していたから、二月末日の様子をみて改めて考えたいとの措置をとり、結果的に三月も二レツグ以内の制限を認めているのであるから、制限乗務に関する医師の診断書を無視して乗務をさせようとしたとは認められない。もつとも安達の申出に対する田中課長やスケジュール作成者の対応が円滑さを欠いていたため、その直前まで上記脱退届の件でもめていたことも加わつて、安達が、上記措置を脱退届撤回に対する報復と受け取つたのも無理からぬものと考えられるが、上述のとおり、会社にそのような意図があつたとは認められない。

第三法律上の根拠

以上の次第であるから、安達に対する脱退工作は、労働組合法第七条第三号に該当するが、制限乗務の件は、同条に該当しない。

なお、組合は、いわゆるポスト・ノーティスおよび社内報への掲載をも求めているが、本件の救済としては、主文のとおりをもつて足りるものと考える。

よつて、労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条を適用して主文のとおり命令する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例